あいさつ

美唄歯科医師会会長 小森 英世

創立60周年を記念して
 早いもので新生美唄歯科医師会誕生60年という節目の年を迎えることとなりました。同50年を記念した「50年の歩み」を上梓してから10年を経過することとなり、その経験から記録、保存の大切さを改めて、認識した次第であり、実際、会としても、重要な変化を遂げた10年でもありました。
余り仰々しくはなく、かつ、この10年を埋没させる事のないようにとの事で、道歯会通信の論壇、ロ−カルニュ−ス、その他に掲載された内容を電子ブックとして、整頓し、保存する事を中心に、今では、齢70代、80代を迎えられた、主要な年次に会を中心的に支えられた先生達にも回顧、展望を賜わり、この10年を総括せんとするところとなりました。
 平成10年(1998年)から平成20年(2008年)の期間がそれにあたりますが、まさしく20世紀と21世紀をまたいでの10年間、美唄市は人口凡そ32,000弱から28,000人へと減少し、デフレの時代いうところの、失われた10〜15年と形容された地方の時代の終焉の時代でもありました。
 宝崎錠二先生が、第5代美唄歯科医師会会長として平成9年(1997年)から同17年(2005年)迄を歴任されましたが、内外に事業の活性化と、組織の近代化への脱皮がせまられた時であり、先を読み、熱意を持ち、物事をきちんとしたものに仕上げていく、その様は、最適任といえるものだったと今更にして感じます。
 とりわけ、前事務長の桜田氏から現事務の近藤さんへの移行は、前会長の第3期の最大の懸案であり、そのおかげでまがりなりにも、今日、会が運営されている訳であります。
 慶弔内規や救護班編成、障がい者への積極的取り組み、会運営への資料配布、記録、保存など、会務の近代化を達成したといわれる所似であります。
又、HP創設が平成12年であり、美唄未来開発センタ−に依頼し、現在のメ−ルシステムを備え機動的、民主的連絡手段として今日に至っている訳です。
 美唄はエネルギ−事情に大きく影響を受け、その変化を十二分に経験したものの、時代の流れはすさまじく、ここ2〜3年は、世界的なエネルギ−需要の高まりから、再度露天掘りの石炭生産が開始されるという状況になっており、誠に驚くべき変遷といえます。
一方、美唄労災病院が北海道中央労災病院と名称をかえ脊損診療に特化し、併せて、医師不足により、市立美唄病院の診療所化まで取沙汰されている事は、都市機能を問うものとなっている現在であります。
 当会会員も、旧世代会員4〜5名。この10年間に新規会員となった方6〜8名。その中間をとりもつ7〜8名という構成で、変化著しい中で、地域での活動に工夫を重ね、努力致しております。普通なら考えられぬ程の少人数で一郡市区歯科医師会を形成している訳で旧空知支部会の兄弟会である岩見沢歯科医師会、空知歯科医師会との交流と格段の御厚誼を得て空知地域での美唄市とその周辺の口腔衛生、診療活動に日頃、努力している所であります。
次の10年がどのようなものになるのか、想像もつきません。地域住民にとり、又構成する会員にとり有意義な形態に変化していく事になるでしょうが、その時、その時に行なわれた足跡を雲散夢消させることなく、少しでもとどめようという、誠にささやかな試みは、併せて、皆様方の活動の御努力に対する感謝の歴史でもあります。